価値観の違いを押し付けるとは
こんばんは。
本日は、「価値観を押し付けるとは」
ということについてお話ししたいです。
以前病院で働いていた時に
パキスタンの患者さんがいらっしゃいました。
ICU入室されていたのですが、重篤な状態の患者さんでしたが、いつも入れ替わり立ち替わりたくさんの友達がいらっしゃっていました。
私の上司は、「これは幾ら何でも面会人数が多すぎる。
面会制限をするので名前をリストアップした者しか面会できないことする」
と、決めました。
また、宗教上イスラム教の信者の方でベッドサイドに「聖水」を持ってきていいだろうか?可能であれば清拭(体を拭くこと)をこの水でしてあげたい。との訴えがあり、上司に伝えたところ
「聖水はきれいな水なのか。感染するような菌が混入しているかもしれないので持ち込みは禁止にしてください。」
。。。なんだろう、なんだか違和感を感じてしまいました。
そう思ってパキスタンの方々の民族性、宗教などについて自分なりに調べてみました。
パキスタンでは家族だけではなく近所の人や友達といつも集まり
困った時はお互いに助け合う。
血縁上の繋がりはなくてもみんな「家族」なんだという風に考えている。とのこと。
聖水に関しては聖地メッカの泉の水のことを指しており、イスラム教の中ではこの水は聖水として扱われており、巡礼に来た方がこの水を飲むのが通例とされているとのことでした。
調べて、ハッとなりました。
私たちにとって普通なことは、パキスタンの方々にとって普通でないのかもしれない。
パキスタンの人にとって普通なことは、私たちにとって普通ではないのかもしれない。
私たちは「家族」のみ面会に来ることができるとお伝えした。
彼らは友達でも親戚でも自分のことを「家族並みに近い人」だと思っている。
私たちにとって感染源となりかねない「聖水と呼ばれるもの」
彼らにとって神様へ祈り、神の力を最大限に発揮するために必要な最後の頼みの綱である「聖水」
私たちは勝手に相手をジャッジして、私たちの価値観、ルールを押し付けているのではないだろうか?
私たちが看護師としてできることは
相手のバックグラウンドや、民族性、国民性、宗教、家族の思い・・・・
いろいろなことを調べ、理解しながら、何が家族・本人にとってのベストであるのか。
そして、医療上ではどんな危険があるのかなどをお伝えして、相手にも一緒に考えていただくのが大切なのではないかと思います。
「私たちの価値観で相手を判断してはいけない」
今回の事例からこの学びを得ることができました。
でもこれは、国が違うからだけではないんだと思います。
もちろん日本でも起こりうるのではないか、と。
私たちはその家族の中の長い年月の流れを知りません。
何を大切にし、何を喜びとして、何を思い生きてこられたのか。
以前、こんな訪問看護のお話を聞きました。
家中、本だらけで稼いだお金をほとんどすべて本に費やされている家族がいらっしゃいました。息子さんは働いておらず一家を支える母親の年金はほとんど、本を買う代金に消えているそう。食べるものにも困るくらい。
しかし、この一家はご飯を食べるお金を削ってでも本を読み知識をつけることをとても大事にしていたそうです。
この家族、私たちの「普通」で考えると、普通ではないと思うんです。母親の年金を本代に使用しご飯を与えていない。はたから見ると虐待なのかとも思われます。
でもこの家族にとってはこれが普通なんです。
私たちの価値観はみんな一緒なわけではない。
だからこそ、その人の立場になって考える。その人の背景を考える。その人の性格を考える。相手のことを思うこと、これがとても大切になってくるんだと思います。
難しいけど、看護では技術より何よりこれが大切になるんではないかなーと思いました。愛ですね〜。愛!
文字にすると簡単なんですが、全ての人を愛するなんて難しい。
本当にマザーテレサ、尊敬します。
嫌うより愛するほうが心は気持ちいいんですよね。
医療の考え方、治療に対する考え方にも
人それぞれ大切にしたいこと
自分の中での基盤、思いや理念があります。
自分と違うから全てダメなのではなく
みんな違ってみんないいなんだと思います。
いろんな人がいるからこそ、色々な考えがあったほうが
自分にしっくりきたものが選べる。
訪問看護でも、クリニックでも色々な色があると思います。
自分の中でしっくりくるところを見つけてもらえたらなと。
私も、相手をジャッジしない人間になりたいです。
自分の物差しで相手を測らない人間になります。
よし、頑張るぞーーーーー!!