きくということ
こんにちは!
今日はこちらの記事から。
このブログの中で
「体の声を聴く。この時も、漢字は「聴く」ですが、
体の声も、目、耳、心、を使って聴くのですか?」
その職員は「そうです。」と答えました。「では、患者さんに、
「目を閉じて、ゆびもみ、や肩まわしをするといいですよ。」と説明していますが、
この説明は、間違っているのでしょうか?
目をあけてしていただいたほうが体の声は聴けますか?」
この質問に、その職員は、つまってしまいました。うまく、理論が回らない、
その時は、なにか根本的に勘違いしている可能性を考えます。・・・
これは、私個人的な予想ですが、
古来日本人が「聴く。」という言葉に託した真意。それは、
目、耳、心を 「閉じて」 聴くということでは、ないでしょうか?
と、書かれています。
私は「聴く」ということは、受け入れることだと思っています。
そうで無いと相手の話ってきけないですよね。
例えば相手と喧嘩している時。相手の言っていることは全て間違ってる!って思ってきいているのと、私が間違っているかもしれないと思ってきくのとでは同じ聴くでも差があると思うんです。
だから私は聴くことは受け入れることなんだと思います。
相手の価値観、考え方、捉え方、みんな違うじゃ無いですか。
だから、まずは受け入れる。間違っているとか、私の考えと違うとかではなくて。
相手の言っていることを飲み込む。
私はこれが苦手なんですよね。でも!とか、だってあの時は!とか言い返してしまいたいと思うことがある。笑 でもそれって聴いてないんだと思います。まずは相手の立場になって一度受け入れる。
こんなの基本だよ、小学生でもできる。そう思うんですが、実践するのは難しい。
ここが相手と心をつなぐことができるかできないかの違いなんじゃ無いでしょうか。
イライラしている時こそ、相手のことを思う。
怒っている時こそ、相手のことを考える。
イライラしていたりするときだけじゃ無いですけどね。
相手をまるっと受け入れて、愛を持って生きたいですね。
よし、頑張ろう!